2010年5月4日火曜日

asian american art


4月14日水曜日、授業の課題の一環で、元スミソニアンのキュレーターFranklin Odo氏をインタビューにやってきた。

今学期履修しているAsian American Art(アジア系アメリカアート)の授業。そもそも名前アジアンアメリカンアート自体いったいなんなんだ?というのがクラス内で議論になるほど、特殊かつ興味深いエリア。セミナー式の授業は週一回2時間半。毎回DC周辺で活躍するアジア系アメリカ人アーティストがゲストスピーカーとしてやってきて、作品を紹介したり自分の人生経験について語ってくれる。今まで、グラフィックデザイナー、画家、舞台のコスチュームデザイナー、美術館のキュレーター、彫刻家、写真家・・・など、多種多様なアーティストたちがやってきた。(写真は、2月にHiroという画家がやってきて、自分自身を色や筆使いで表現してみよう!というワークショップをやった時のもの。)

なんでこの授業を履修することにしたかというと、ハーフ日系のN教授と大使館のパーティーで知り合い、その人脈の広さと経験の幅に興味をそそられたから。弁護士・教授の顔を持ちながら、インターネットの会社を運営しつつ、さらには美術雑誌にコラムを書いたり詩集まで出版しているN氏。ハーフフランス人で現役人類学者の奥さんEと共に、一度話すだけで頭のキレの良さと経験の豊かさがジンジン伝わってくる人物。そんな彼の驚くべき人脈の広さを利用したこのセミナー、老若男女リアルの現役アーティストの経験談や人生観が近距離で聞けてすごくおもしろい。

期末レポートの課題は、DC周辺在住で活躍する年配アジア系アメリカ人の方に、これまで歩んできた人生について語ってもらうインタビュー・対話に行き、その模様をビデオにおさめ、それをもとに10ページの論文を書くというもの。私が担当になったのはスミソニアン協会の大御所らしき日系のフランクリン・オドー氏。祖先な広島出身、ハワイ生まれでその後プリンストン・ハーバードで学業を積み、60年代サンフランシスコで反戦活動やラブ&ピースな活動を行い、各地で教鞭をとったのち、ワシントンのスミソニアンでアジア系初のキュレーターを13年勤めたそう。

実際に会ってみると、この輝かしい学歴とは関係なく、すごく気さくで笑顔がやさしいおじいちゃん。インタビューにも慣れているのか、質問にも的確に過不足なく回答。すばらしい。お年寄りにありがちの脱線+延長がなく大助かり。

約一時間のインタビュー、小説にでも出てきそうなエピソードがたくさん。一番興印象的だったのが、大学時代、ルームメートが休暇中実家に連れて行ってくれた道中、南部のガソリンスタンドで用を足そうと下車したときのこと。この時トイレのドアに貼られた'White(白人)'と'Non-White'(白人以外)の張り紙を生まれて初めて見たという。(歴史資料集で1960年代アメリカのところに載ってるとうな、あの人種差別の張り紙)。見た瞬間わきおこった感情は、差別された怒りや恨みではなく、ひたすら驚きと混乱だったという。というのも、ハワイの日系社会で育ち、大学は白人が大多数の名門校。周りから時別「有色人種」とラベルをはられることもなく、自分自身を改めて「アジア人」「マイノリティー」として自覚することがそれまで一度もなかったのだ。このトイレのドアサイン事件以来、「はたして自分は何者なのか、どこから来たのか」という自問がはじまり、祖先のルーツ日本の歴史に興味を持ち始め、その分野の研究に打ち込むことになった。

スミソニアンに勤務中も、アジアや南米の移民、アジア系アーティトにスポットライトを当てた展示をいくつも企画したそう。この、自分と外界の差を肌で感じる、という経験は私自身にもある。故郷を離れ、単身見知らぬ地に乗り出したことがある人なら誰でも経験したことがあるかもしれない。日本にいる時は改めて「私日本人だ」と自覚する必要も機会もないけど、日々違った言語や文化を持つ人たちと接してると、いい意味でも悪い意味でも今まで知らなかった自分の「日本人らしさ」に気づかされる。20代に始めた「自分探し」がその後人生を大きく左右しF氏、貴重なお話をありがとうございました。

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