2010年11月1日月曜日

ユースホステル通訳

10月25日月曜日、カフェのバイトのあと、急いで広島インターナショナルユースホステルに向かう。

今日は7時からホステルで定期的に行われている、ヒバクシャ証言の通訳、の手伝いをするのだ。以前英語の通訳としてボランティアしたことのあるホステル。今回はなんと日本語からフランス語への通訳の依頼。・・・・いや~私にはちょっと無理です・・・ということで、大学のフランス人留学生やフランス語圏に留学経験のある友達にSOS。ありがたいことに、「是非やってみたい」と快く引き受けてくれた。

この日お話をしてくださったのは、小学校低学年の時に被爆されたOさん。彼を囲むのはフランスから修学旅行でやってきた高校生20人前後。(なぜか、広島には修学旅行でフランス人がよくやってくる。)時前に役割分担して、Oさんが以前にやられた証言のとらんスクリプトを、一度フランス語訳したものを用意した。私も1パラグラフだけ参加したんだけど、フランス語の場合英語と違って、「時制」にかなりてこずった。過去を表わす方法が3つ4つあって、ものごとの前後関係がかなり正確にあらわれる。特に被爆証言では、「被爆した前の年に~していたのですが、」なんてフレーズがあると、これは過去よりさらに前の状況をあらわすから・・・と、まず時制、さらにそのための動詞の活用・・・・なにかと手間。かれこれ1年以上まともにフランス語の文法を習っていない私にはお手上げ。

そして本番、ありえないほど日本語ぺらぺらのフランス人Vがおみごとな同時通訳をし、彼が分からない専門用語や広島弁を日本人フレンチ娘たちがサポートし、見ていて安心の出来栄え。高校生たちも真剣に耳を済ませ、終わったとには質問の手が次々上がるほど。

ヒバクシャの通訳はいろんな意味で難しい。資料館の展示では、原爆が落とされるまでと落とされた後が、ひとつの連続した流れとしてまとめられている。でも、ヒバクシャの方のお話は、かぎりなく断片的で極所的で個人的。全部で何万人が死に、放射能が何キロにわたり広がり・・・という類の、すっきり割り切れる数で表せる「結果」でなはく、ちっちゃな1個人が自分の体で体験した「事実」は、もっと主観的でリアルで生生しくて、割り切れない。話しがあっちへこっちへ飛び、強烈なエピソードが、一貫性なく湧き出てくる。その点と点を結ぶのは聞き手の仕事なのかもしれない。

興味深いのは、例えば、被爆の瞬間自分がどこにいたかとか、放置された死体が焼かれる匂いや、焼けただれた皮膚の感触など、五感をつんざくような記憶は恐ろしいほど鮮明に蘇る。それに対して、「いつ頃からまちの復興がはじまったのですか?」とか「いつ自分が世界初の原子爆弾だということを知ったんですか?」といった、歴史や客観的事実に関する質問には、おどろくほど答えがあやふや。その背景には、当時アメリカ政府が原爆に関する情報を統制していたことがもちろんあるだけど、なによりあの大きなキノコ雲の下、人々は痛みも怒りも驚きも通りすぎるほどの混乱の中で、自分たちがキノコ雲の下にいるという自覚もなしに、ひたすら逃げ惑っていたのだろう。自殺者の数が増えると騒がれる現代社会。でも、人間の根底には、血を流しながらでも「生きたい」と這う、そんな貪欲な本能がインプットされてるんだろな~と、お話を聞きながら改めて思った。

これまで文字で書かれた教科書の中の出来事でしかなかったであろうHiroshimaの、生きた声を聞いた高校生たち。彼らとヒバクシャの体験の間には、時間・空間・言語と、図りきれない壁があるけど、そのうちの一つでも打ち破るお手伝いができればうれしい。

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