正午12時、レーガン空港からミネアポリスまで国内線、そこで成田行きに乗り換え、11時間後、東京に舞い降ります。空港までTとTパパが車で送ってくれ、「我が家を自分のお家と思って、いつでも好きな時、好きなだけ帰ってきていいよ。」とほんとうに嬉しい言葉をかけてくれた。最後の別れ際に、Tの所有物で私の超お気に入りだったぬいぐるみをサプライズプレゼントしてくれました。大事にするよ~。
DC最後の6日間は、荷造りに追われながらも、充実した時間が過ごせました。お世話になった教授や大切な人たちみんなに会ってお別れできた。1年間で、アメリカという国が好きになったというよりは、そこで出会った人たちと彼らが作り出す空気が好きになった、と言った方が正しいかもしれない。
移民大国アメリカ。特に、ワシントンやニューヨーク、サンフランシスなど海岸沿いの大都市は、数えきれないほどの多種多様な人種や文化が、たくましく息づいていた。ネイティブアメリカンをのぞき、「よそ者」が一から築いた国。世界各国から夢や希望をもって集まった人々が、祖国の文化を持ち込みつつも、新たな土地で新たな人生を始めようと、汗水ながした国。そんな背景からか、「よそ者」に対してとってもオープンであったかい、という印象を受けた。お互い気さくに声を掛け合うし、助けを求めると必ず誰かが手を差し伸べてくれる。いろんなところで、助け合いの精神を感じた。一方、どちらかというと、狭く深いアジアやヨーロッパの人間関係に比べて、アメリカ人は広く浅い表面的な関係というのも事実。しかし、1年という限られた期間滞在する「よそ者」にとって、アメリカ人の気さくさ、フレンドリーさは、決していやでなかった。
同時に、助け合いはするけど、結局のところ夢をつかものは自分の力、という個人主義も確実に存在する。この国に「泣き寝入り」という考えは絶対にない。主張しないと負け。言わなきゃ損。損したのは自分の責任。他に対するオープンさと、最後は自分という個人主義。歴代の「偉人」とされる人々が、亡命先としてそろってアメリカを選んでいるのは、こんな理由からかもしれない。アメリカという国はある意味で白いキャンバスみたい。みんなが自分の色を持ち込み、そこになにか描く余地がいつもある。
一方、今でも人種差別や、人種による所得格差や地域格差があるのも事実。掃除や単純労働に携わっているのは、私の目で見える限りでも、スペイン語を話すヒスパニック系の移民が大半。低所得者が一代のうちに億万長者になるというアメリカンドリームは、何万分の一の確率。「自由の国」という輝かしい旗を振りつつも、目には見えない制約や、越えられない壁が存在する。
いずれにせよ、一国内に多文化が存在するにもかかわらず、国民の多くがそのことにさえ気づいていない日本にくらべると、アメリカの多種多様さはカルチャーショック。1年間を通して、自分の身をもって改めて感じたことは、いい意味でも悪い意味でも、そんな「違い」こそがこの大国を前進させるエネルギーの源になっている、ということ。「違い」を「豊かさ」に。長い歴史や伝統文化を持たない国アメリカが世界に誇れる財産は、これかもしれない。
なんかすごく分析しちゃいましたが、これにて長いようで短かった留学生活も幕を閉じます。これといって大きな病気や事件や怪我もなく、ほんと楽しい思い出ばっかりの、あっという間の11か月でした。アラスカ上空、飛行機がUターンしてワシントンに戻らないかなー、なんて飛行機の中一人で妄想してみたり。帰国という現実にイマイチ実感が伴わないまま、体は確実に東京に近付いております。
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