(「象と鳩の結婚」と言われた2人―1929年)
《ちょっとした刺し傷》1935―自分の妹と関係をもったディエゴにあてて。ブラックユーモア・・・
《いつも私の心の中にいるディエゴ》1943-額にディエゴを封じ込める
《イバラとハチドリの首飾りをつけた自画像》1940-まるで殉教者のようなフリ―ダ。愛の使者ハチドリは死んでいる。しかし、頭上の蝶は再生を意味し、困難に立ち向かう意志が感じられる。
《ひび割れた背骨》1944-脊椎の移植手術の直後に描かれた
《傷ついた小鹿》1946
《愛は抱擁する》1949―赤ん坊のディエゴを抱くフリ―ダ、そのフリ―ダを包み込むメキシコの大地とアステカの神。光と闇、荒れと豊潤、生と死などのモチーフが二人を取り囲む。__________________________________________
・・・美術史の演習で、いつのどこの誰の何でもいいから、なにかひとつアートを選んでプレゼンすることになった。
私が選んだのは、前々から気になっていたフリ―ダ・カーロ。気になってただけであまり詳しく知らなかった。今回の授業を機に、1週間フリ―ダリにひたってみた。
・・・フリ―ダ・カーロって知ってます?
初めて彼女の絵を見たときの衝撃は今でも覚えてる。
「痛い!」
「痛い!」
濃い1本まゆ毛と口の上の薄らうぶ毛。こっちを突き刺すように見つめる透き通った目。
グロテスクでシュールで、生々しくて、幻想的で、生暖かい。
む~んと湿気のある南国に咲く、原色の花みたいな絵。
Frida Kahloは20世紀前半に活躍したメキシコの女性画家。
メキシコの3大壁画家の一人ディエゴ・リベラの妻。47年の短く波乱に満ちた人生の中で、たくさんの自画像と抽象画を残している。
幼いとき小児麻痺を患い右足に後遺症。医学を志す優秀な学生だった青春時代、16歳の時交通事故で全身骨折、脊髄に後遺症。一生カラダの痛みと向き合いながら生きていくことに。ベッドの上で過ごす時間が長くなるにつれて、ベッド脇にキャンバスを置くように。一人きりの時間、鏡にうつった自分を描く。
21歳の時、ディエゴと出会い、結婚。自分より倍以上も年上で、国民的画家のディエゴ。その巨体に負けない、バイタリティーとユーモアとエネルギーの持ち主。かなりの女好きで、繰り返される浮気。ディエゴを死ぬほど愛するが故に痛むフリ―ダのココロ。ディエゴと一体化したい、そんな気持ちで筆をとる。
ディエゴが愛したメキシコ。スペイン征服以前のインディオの文明。毎日、カラフルな民族衣装とアクセサリーをじゃらじゃら付けるフリ―ダの姿は、貧しくも誇り高く生きるインディオのシンボル。
今回リサーチをしていて、フリ―ダが美術史上「シュルレアリスム」に分類されることが多いことが分かった。メキシコを訪れた当時のシュルレアリスト達がフリ―ダの絵に感激し、彼女をミューズと崇めた。
一方のフリ―ダは、「私は夢なんか描いていない。ただ、描く必要のあった真実を描いただけ。」・・・彼女は自分の実体験と、そこからあふれ出るリアルな感情をキャンバスに写しただけであって、フロイト理論にのっとり夢や幻想を実験的に描いたシュルレアリストとは種類がちがう。彼女の絵にはカラダとココロから絞り出したような、リアルな痛みがある。同じグロテククさでも、視覚にだけ訴えるダリなんかとは別物。というのが私の結論。
乾燥した大地とみずみずしい南国の動植物。太陽と月を崇め、生と死が混在したメキシコ土着の世界観。彼女の絵のシュールさはメキシコの風土が生み出したもの。(アメリカで履修した「古代中南米の考古学」コースの知識が今回かなり役に立った。やったぁ!ついに、あの一生使えないと思ったマニアックな知識が日の目を見るなんて!)
女であること、体の痛み、メキシコの大地
フリ―ダの、つらさも喜びも、愛も嫉妬も絶望も、すべてをさらけ出すあっけらかんとしたまなざし。
男性によって理想化されたのではない、生の女性の自画像。
時に、自然・生命・循環・・・宇宙の無限性まで感じさせるフリ―ダの世界観。
絵画をきちんと学んだことないフリ―ダの絵は、必ずしも「上手」とは言えないかもしれないけど、ほかのだれにも真似できない、残酷なまでの率直さがある。
作品をいくつか簡単に紹介してみました。圧倒されつつも、程度の差はあれ、どこか共感できるフリ―ダの絵。彼女は生涯を通して、ひとつの壮大な日記か自伝を描いたみたい。いつか、メキシコにあるフリ―ダミュージアムに行きたい…。




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